梅じゃなくて桃では

尾形光琳《紅梅白梅図屏風》二曲一双 紙本金地着色 18世紀

国宝にもなっている、有名な尾形光琳の屏風です。
琳派特有の「たらしこみ」で描かれた、写実的ともいえる梅の幹に対し、デザイン的な銀彩を用いた中央の流水が、圧倒的な迫力の屏風です

この図像については、様々な解釈があり、例えば、婚礼のために描かれたおめでたいもの説、あるいは、右隻の若い紅梅からはじまり、左隻の年老いた白梅へと時間の流れがあるという説、俵屋宗達の《風神雷神図屏風》へのオマージュ説など、その解釈は様々です。

近年、制作時には白梅には、植物染料で色がつけられていたとの調査があり、白ではなく、桃色だったという可能性が報告されています。

桃色だったかも?
そうだとするなら、タイトル《紅梅白梅図屏風》がかわってしまいます。
そもそも、この銘は、いつ、誰がつけたのでしょうか。調べましたが、確かなことは分かりませんでした。
とすれば、後世の人がつけた銘で、光琳自身は、そんなことは意図していなかったのではないでしょうか。
そう考えると、右隻の紅梅が、桃ではないか?とみえてきます

桃と梅は、似ていますが、微妙に違います。

梅は花柄(枝と花を繋ぐ部分)がほとんどないため、花が枝に直についているように見えます。そしてひとつの節から咲く花は1つです。対して、桃には短い花柄があります。節の両側に花芽が2つ、花芽と花芽の間に葉芽があります。それぞれの節から2つの花が咲くのが特徴です。(https://lovegreen.net/)
また、花桃は特にですが、枝分かれがあまりなく、一本の長い枝に花がつく印象です。
桃の木をみると、梅のように枝ぶりをたのしめるような複雑なものではなく、すーっとスマートに縦線を強調するように伸びています。
そうしてみると、《紅梅白梅図屏風》の紅梅は、梅より桃に近いようにみえてきませんか
桃といえば、桃の節句が思い浮かびます。
桃の節句は当時は、上巳の節句といわれていたと考えられます。そして、当時も桃を飾っていたかは不明ですが、もともと上巳の節句は人型を川に流して払えをする風習がありました。
中央の水流は、もしかしたら、払えのための水なのではないでしょうか。
そう考えると、この屏風の解釈も随分かわってくると思います。
ところで、左隻の白梅ですが、これが桃色だったとしても、こちらは梅の木のような感じがします。
何故か。
雰囲気が
としかいえないのですが、花のつき方、枝の複雑さなど、右隻の紅梅とは微妙に描き分けられているのではないでしょうか
ここで、光琳が描いた、他の梅図もみて、比べてみたいと思います。
花のつき方、枝ぶり、枝型の複雑さなど、左隻の白梅にみられる特徴があるのではないでしょうか。
では、何故、桃と桃色の梅を描くことになったのでしょうか。
そこには、「ふたつは似て非なるもの」という、メッセージがあるのかなあと考えます。
梅も、桃も、吉祥の紋でもありますが、それぞれの意味は少し違います。
魔除けや長寿の意味を持つ桃と、早春に咲きおめでたい意味の梅、また、梅は菅原道真のシンボリックな花でもあります。
このふたつを並べることで、例えば、婚礼席にこの屏風が置かれたなら、様々な吉祥の意味とともに、水流によって、リスタート的な、あらたな人生の始まり的な意味も感じることもあったかもしれません。

ところで、中央の水流には、銀が使われていて、描かれた当時は、銀がもっとキラキラとはっきりしていたことが分かっています。
古来から、日本では、金は太陽、銀は月という概念があるので、銀の水流により、夜というロケーションが想像されます。
夜の真っ暗闇の中、姿は見えないけれど香ってくる梅や桃は、さぞ心踊るものだったことでしょう。ときには、エロティックな心持ちになったかもしれません。


以上は、私個人の、かなり隔たった見解です。
《紅梅白梅図屏風》の前では、色々な解釈をして、自分だけの楽しみ方が出来るのではないでしょうか。

もし、この屏風からお茶席を考えるなら、盛りだくさんすぎて,しつらいに悩みますが、「夜の闇に香る花香」に焦点をあてて、ベリー系の香りの単叢を淹れたいと思います



cha-bliss

日々のお茶の時間を そのときを想う cha-bliss 茶・至福のとき