2023.05.26 07:14梅じゃなくて桃では尾形光琳《紅梅白梅図屏風》二曲一双 紙本金地着色 18世紀国宝にもなっている、有名な尾形光琳の屏風です。琳派特有の「たらしこみ」で描かれた、写実的ともいえる梅の幹に対し、デザイン的な銀彩を用いた中央の流水が、圧倒的な迫力の屏風ですこの図像については、様々な解釈があり、例えば、婚礼のために描かれたおめでたいもの説、あるいは、右隻の若い紅梅からはじまり、左隻の年老いた白梅へと時間の流れがあるという説、...
2022.01.19 15:15思惟 五感お茶の時に、「五感を研ぎ澄ませて、、、」ということを耳にする五感はいわゆる5つの感覚視、聴、嗅、触、味、そして、それらからは、あらゆる情報が入ってくる。どんな?視覚からは、みえる情報視覚からの情報が一番多いそうだが、ということは、視覚はとにかく入ってくるものごとがいっぱい綺麗とか、嫌だとか、感情に直でくるもの聴覚からはいってくるものは、さらに感情を処理してゆくもの。気持ちが良いとか、心地よいとか嗅...
2021.08.14 05:29思惟 伝えることの難しさコロナ禍にあって、おこもり生活がながくなり、すっかり「お茶会」から遠のいてしまっています。その中でも、色々考えることがありました。お茶会と、お茶をするのは同じようですが、違う。お茶会という、何か目的がある「会」は、その目的を明確にしないと、参加した人がガッカリしてしまうことも多い。けれども、その目的が、100%伝わるかというと、そうでもないので難しいところだろう。なと。先日閉会となったオリンピック...
2021.02.23 14:15思惟 アイデンティティアイデンティティ最近、よく耳にしますが意味がよく分からなくて、いつも流していました。この言葉が出てくるのは哲学的な話や、民俗学的な話、文化的な話の時。心理学的な時も出てくるかもいよいよ、流していると分からない。が、積もってきて、不味いかと思うので、調べてみた。ネットによると、けっこう入り組んだ意味があるし、モヤッとしているらしい掻い摘むと「自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであ...
2020.12.16 04:53思惟 お茶に求めることお茶をする「お茶の時間」に何を期待してお茶を淹れるのだろうか?2020年は、コロナのために家にこもり、ひとりでお茶をすることが多かった。人にではなく、自分に淹れるお茶それまでは、お茶を淹れたり、お茶をたのしむとき、多くは自分以外の人がいて、お茶を交わしながらの時間が楽しかった。その時の「お茶」は、潤滑油のような、その場を特別な何かにかえるちょっと特別なものだった。お茶そのものもそうだが、お茶お淹れ...