今どきのしつらえ
先日、東京国立博物館で開催中の「特別展 茶の湯」
をみてきました。
国宝や重文級の茶道具がズラリと並び、圧巻。
そして、日本の茶の湯の流れに沿って展示され、それぞれ、そのころの情勢や好みなども交えられていて、大変濃い展示でした。
常々、茶の湯のしつらえと私の思う現代中国茶のしつらえと、共通する部分、違う部分を考えていますが、今回の展示で、ひとつ気付いたものが。
それは、今どきのお茶のしつらえというより、西洋ベースのテーブルコーディネートとのちがいになるかもしれないのですが、「表現」のツールがちがう。ということ。
席をしつらえるときに、テーマになるものを掲げるのはどちらも一緒です。
それが、茶の湯では、よりわかりやすいよう、メッセージとして床の間に掲げられ、招かれた者は、それを踏まえて、その日のもてなしから、様々に思いをめぐらせます。
その、テーマや亭主の思いは、それぞれの道具に込められる。
そのためにか、道具ひとつひとつに銘や来歴があって、それらを組み合わせてしつらえるのも、茶の湯の面白くもあり、難しいと感じるところかと思う。
対して、今どきの中国茶のしつらえでは、テーマや思いを表現するのに、道具の意味合いではなく、席全体のデコレーションであらわしてゆく。
これは、煎茶道ではどうなのかわからないのですが、中国茶では、道具を消耗品として使ってきたという歴史が長いから...なのだろうか?
だから、海外の中国茶をする人達に「意味がこもった煎茶器」が、人気なのかもしれない。
などと、ちょっと思ったら、いつも、茶の湯のしつらえの前では、どうも中国茶は浅いような...後ろめたさがあったのですが、表現法が違うんだから、これはこれでアリなのよ。
と、ちょっと納得しました。
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