表現をするということ
お茶席を考えているとき、何がたのしいのか
と
ふと思い考えてみました。
綺麗な器が並ぶのもたのしいでしょうし、しつらえた席から、異空間を感じてお茶するのもたのしいでしょう。
今まで、私は、漠然と綺麗なしつらえを考えるのがたのしいな〜
と感じていたのですが、
インスタでいろいろな方の写真をみていて、綺麗なだけではなくて、表現したいものが伝わってくるような写真に心を動かされました。
それは、氷の冷たさが伝わってくようなものだったり、真夏の木陰のほっとするような涼しさだったり…
そして自分が今まで撮った茶席の写真をみて、薄っぺらなものが多いことに凹みました。
何か思いがこもっていて、それがうまく表現されている席は、またお茶したいと思えるのですが、ただ見栄え良く並べているような席は、そんなしつらえすら忘れています。
そう思いながら、テーブルウェアフェスティバルで展示したテーブルをみかえしてみると、思いが詰まっているし、何かを表現するということを追求しているような気がしました。
そして、落選したものは、そのメッセージが弱い。笑
表現したいものがあり、それをみえる形にするというのは簡単なことではないでしょう
これはお茶席だけではなく、絵画にしろ音楽にしろ、文学にしろ、創造するといこと全てに共通のことだと思います。
それがうまくいかないから葛藤があるのか?と
これからは何かメッセージがある、そんなお茶席を考えてゆきたいと、思うのでした。
そして、その「表現する」ということを、たのしんでゆきたい
0コメント